マイクロバイオームの多様性におけるクロスフィーディングの転換点

学術的背景

微生物群集(microbiome)は地球上で最も多様性に富んだ生態系の一つであり、数百種類の機能的な微生物群集が複雑な資源交換ネットワークを通じて相互作用しています。しかし、長年未解決の核心的な疑問は、この驚異的な多様性がどのように種間の代謝相互作用によって維持されているかということです。特に、クロスフィーディング(cross-feeding)——微生物が代謝副産物を相互に供給するメカニズム——が主要な駆動因子と考えられていますが、そのネットワーク構造が群集の安定性に与える影響は未解明でした。

従来の生態学理論(例えばMayの複雑性-安定性理論)では、微生物群集の高い多様性維持メカニズムを説明することが困難でした。さらに、微生物培養実験でよく見られる「自然の多様性の大部分が実験室で培養できない」現象も、クロスフィーディングネットワークの破壊と関連していると推測されています。そこで、Tom CleggとThilo Grossの研究チームは、パーコレーション理論(percolation theory)を用いて構造化された数学モデルを構築し、クロスフィーディングネットワークにおける「臨界点(tipping points)」が微生物多様性の急激な崩壊を引き起こすメカニズムを解明しようと試みました。


論文の出典

  • 著者:Tom Clegg(Helmholtz Institute for Functional Marine Biodiversity, Germany)とThilo Gross(University of Oldenburg, Germany)
  • 掲載誌:*PNAS*(Proceedings of the National Academy of Sciences)
  • 発表時期:2025年5月6日
  • 論文タイプ:オリジナル研究(original research)

研究のプロセスと結果

1. 微生物群集ハイパーグラフモデルの構築

研究デザイン
- 対象:N個の微生物群集とM種の代謝物を含む群集をシミュレーションし、二部グラフネットワーク(bipartite network)を構築:
- ノード:「消費者」(微生物)と「代謝物」の2種類
- エッジ:有向リンクで代謝物の「消費」(微生物→代謝物)と「分泌」(代謝物→微生物)を表現
- ルール
- 微生物の生存条件:必要な代謝物がすべて存在すること(論理「AND」関係)
- 代謝物の存在条件:少なくとも1つの生産微生物が生存していること(論理「OR」関係)

手法の革新点
- 生成関数(generating functions)を導入し、ネットワークの次数分布(例:ポアソン分布)を確率方程式に変換:

  c^* = c(m^*), \quad m^* = 1 - m(1 - c^*)

ここでc*m*は、それぞれ消費者と代謝物の定常存在比率を示します。


2. ランダムネットワークにおける臨界点分析

主要パラメータ
- zc:消費者1つあたりの平均代謝物要求数
- zm:代謝物1つあたりの平均生産者数

実験結果
- 連続的相転移zmが小さい場合(例:zm=2)、zcの増加に伴い多様性が緩やかに減少(図2a挿入図)。
- 臨界点現象zm=4の場合、zcが約2.7に達すると急激な崩壊が発生(図2a):
- ヒステリシス効果(hysteresis):高多様性を回復するにはzcを大幅に低下させる必要があり、経路依存性が生じる。
- カスプ分岐(cusp bifurcation):パラメータ空間で臨界線がzc=zm=e≈2.718で交差(図2b)。

検証手法
- 数値シミュレーション(n=10,000ノード)で理論予測を検証し、誤差%。


3. 微生物培養実験へのモデル応用

科学的疑問:なぜ自然の微生物多様性は実験室で培養できないのか?
モデルの対応付け
1. サンプリング擾乱:微生物の一部のみを採取(割合s)、代謝物生産者を減少(ym = (1-s)zm)。
2. 培地補充:外部から資源を供給(割合r)、消費者の要求を低減(yc = (1-r)zc)。

発見
- s<0.5の場合、資源を補充(r>0.5)してもネットワークが崩壊し、培養が失敗(図3c)。
- 構造的脆弱性:クロスフィーディングネットワークの連鎖的崩壊により「全か無か」の多様性応答が生じる。


研究の結論と意義

  1. 理論的貢献

    • 複雑な生態ネットワークで初めて「臨界点」の存在を明確にし、微生物群集の安定性に対するメカニズムを提供。
    • クロスフィーディングネットワークの構造パラメータ(zczm)がパーコレーション相転移を通じて多様性を制御することを解明。
  2. 応用的意義

    • 微生物培養:「ネットワーク再構築閾値」を提唱し、共培養戦略の最適化(例:高zm代謝物生産者の優先保護)を指導。
    • 生態工学:人為的擾乱(例:抗生物質)が不可逆的な多様性喪失を引き起こす可能性を警告。

研究のハイライト

  • 手法の革新:パーコレーション理論を微生物生態学に初適用し、「構造-多様性」の定量的関連を確立。
  • 学際的融合:ネットワーク科学、統計物理学、生態理論を統合し、古典的問題を解決。
  • 普遍性:特定の動力学仮定を必要とせず、広範な相互作用タイプに適用可能。