単一振動心電図センサーによる多モード心臓波形の生成再構築

単一センサーによる振動心動図で多モダリティ心血管波形を生成

背景紹介

心血管疾患(Cardiovascular Disease, CVD)は、世界でもっとも罹患率・死亡率が高い疾患の一つとして、毎年億単位の患者に影響を与え、世界の医療システムに巨大な負担をもたらしています。文献によれば、CVD関連医療費は毎年数十億ドルに達し、患者の生産力や生活の質にも大きく影響しています。高血圧、糖尿病、肥満、座業的なライフスタイルなどのリスク要因が広範に存在し、CVDの予防・管理はますます困難になっています。

早期発見・早期介入はCVD管理効率の向上と重篤な心血管イベントの減少にとって極めて重要であり、これによりウェアラブル健康モニタリング技術が注目を集めています。日常的に心臓生理パラメータをモニタリングできるデバイスを着用することで、患者は自らの健康状態を把握し、医師と連携して個別化かつ精密な管理を実現できます。現在主流の心血管モニタリング技術として以下が存在します:

  • 心電図(Electrocardiography, ECG): 心臓の電気的活動を記録し、心拍数・心拍リズム・診断に有用な情報を提供する、“ゴールドスタンダード”と呼ばれる心臓モニタリング法。
  • 光電容量脈波図(Photoplethysmography, PPG): 光学センサーで血液量の変動を検知し、スマートウォッチやフィットネスバンドなどで心拍数や酸素飽和度を測定。
  • インピーダンス心動図(Impedance Cardiography, ICG): 胸部インピーダンスの変化により大動脈の血流を評価し、心拍出量といった重要な血流動力学パラメータを取得。
  • 非侵襲性血圧モニタリング(Non-Invasive Blood Pressure, NIBP): 指クリップやリストバンドなどで連続的かつ非侵襲的に血圧を測定可能。

上述の技術はそれぞれ独自の強みを持ちますが、多モダリティのリアルタイム測定にあたっては、センサー数が多い・装着しづらい・データ同期が難しい等の課題があります。これらは全て心臓の生理的活動に由来するため、科学者は一つのセンサーから得た情報をもとに他モダリティ信号を推定・再構成することは可能なのかを探究しています。これによりハードウェア設計を簡素化し、高効率な多モダリティ心血管モニタリングが実現可能となります——これが近年の心臓モダリティ転換(Modal Transfer in Cardiology)分野が台頭した出発点です。

深層学習や生成モデルの発展により、心臓信号間のマッピングは多く研究されており、たとえばPPG信号からECGを生成したり、NIBPを推定、また単一誘導から12誘導への心電信号変換などが行われています。GAN、U-net、LSTMなどのディープラーニングモデルがこの技術の限界を押し広げていますが、主に二つのモダリティ間の変換にとどまり、複数信号の同時生成はほとんどありません。

本研究では振動心動図(Vibrational Cardiography, VCG)に注目します。VCGは胸部振動図(Seismocardiography, SCG)とジャイロ心動図(Gyrocardiography, GCG)を含みます。単点接触の慣性センサー(IMU)を胸骨剣状突起部に装着することで、心臓収縮・弁運動・血流などの機械的活動を記録可能です。これまでVCGは、心臓・呼吸・血流動力学情報の計測、心拍数・心臓時間間隔・疾患指標・射出量など、重要な指標の測定に有用であることが証明されています。

本研究の革新点は、VCG信号が多くの生理領域情報を有するという仮説のもと、生成的機械学習モデルを利用して、単一センサーVCGからECG、PPG、ICG、NIBPの多モダリティ信号を再構成できるかを検証しました。もし可能なら、ウェアラブルモニタリングデバイスのハードウェアを大幅に簡素化でき、日常的な持続型心血管モニタリングの実用性・普及性を著しく向上できます。

論文情報と著者

本研究はJames Skoric、Yannick D’Mello、David V. Plant(IEEEフェロー)らによって、カナダMcGill University(マギル大学)電気・コンピュータ工学科で実施されました。論文は2025年9月の『IEEE Journal of Biomedical and Health Informatics』誌(Vol.29, No.9)に掲載されており、生物医学・健康情報分野を代表するトップジャーナルです。研究データと実験はMcGill大学で行われ、倫理審査を受けています(承認番号:21-06-035)。

研究プロセス詳細

1. 実験システムと機器設計

VCGの高品質な取得を目的とし、著者らは独自に心臓振動計測システムを構築しました。主要センサーは市販のIMU(MPU9250, InvenSense製)で、3軸加速度と3軸ジャイロ情報(合計6チャンネル)を記録。胸骨剣状突起部に両面テープで固定します。IMU信号は約300Hzでサンプリングされ、Raspberry Pi Zeroマイコンで記録・テキストファイル化後、Wi-Fi経由で解析用コンピュータに転送されます。

一方、ECG・PPG・ICG・NIBPなどの各参照信号はBiopac MP160の専門機器で収集され、VCG信号との同期のため、MP160から出力されたクロック信号をRaspberry Piに接続してハードウェア同期を実現し、すべてのマルチモダリティ信号の時間的一致性を保証しました。

2. 被験者と対象

実験には20人の健康な志願者(男性16名、女性4名)が参加。平均年齢は23歳(標準偏差3.5)、平均身長178cm、平均体重76kgでした。被験者に心血管・血流動力学・呼吸器疾患歴はありません。一部被験者は約43日後に二度目の実験を行い、最終的に34回の録音セッション、合計2686分のデータが得られました。

3. 実験フローと介入設計

多様な介入シナリオを設計し、心臓・血流・呼吸状態の変化を広くカバーしています。主なフローは下記の通り:

  1. 安静録音(Rest):7分
  2. 高肺容量での息止め:最大吸気後の息止めを1人あたり5回、各2分
  3. 低肺容量での息止め:最大呼気後の息止めを同じく5回、各1分
  4. タイマー付き深呼吸(Timed Deep Breathing):5秒吸気+5秒呼気を繰り返し5分間
  5. 自由ペースの深呼吸(Free Paced Deep Breathing):時間自由に深呼吸5分間
  6. 安静録音再度:7分
  7. 冷水刺激試験(Cold Pressor Test):右手を3°Cの氷水に1分間浸して刺激、前後で合計5分(1分安静+1分冷水刺激+3分回復)
  8. 長時間安静:30分(冷水試験の間隔として)
  9. 二度目の冷水刺激試験

各介入前後にはNIBP機器のキャリブレーションも行い、実験中は被験者に仰臥・安静を保つよう指示し、動作ノイズの影響を最小限にしました。

4. データ前処理

すべての収集信号は、モデル学習への適合のため200Hzにリサンプリング(主な信号周波数成分を十分カバー)、三次Butterworthバンドパスフィルタ(0.8-50Hz、PPGは0.8-8Hz)でベースライン漂流や高周波ノイズを除去。その後、スライディングウィンドウ法で各信号を分割(1ウィンドウ=512サンプル、2.56秒、50%オーバーラップ)。

NIBPデータは自動再キャリブレーション時の中断や異常値(収縮期血圧が異常高/低)を条件除去。最終的に全セグメントはz-scoreで正規化され、合計118,772の有効セグメントを獲得し、後続のディープラーニング学習・評価に利用しました。

5. 生成モデル構造と学習

条件付き生成対抗ネットワーク(Conditional Generative Adversarial Network, cGAN)の一派、一次元Pix2Pixフレームワークを用いて多モダリティ信号生成モデルを設計。主な構造は:

  • ジェネレーター(Generator): U-Net方式(エンコーダ-デコーダ+スキップ接続)、入力は6チャンネルVCG信号(512×6)、出力はECG, ICG, NIBP, PPGの4チャンネル(512×4)。エンコーダは8層畳み込みモジュール(64-128-256-512-512-512-512-512)、デコーダは反転畳み込み+スキップ接続。
  • ディスクリミネーター(Discriminator): PatchGAN方式で各信号ブロック毎に真偽判別、全4段畳み込み。
  • 損失関数: ジェネレーターはL1損失(平均絶対誤差、信号振幅・構造差異)、対抗損失(Binary Cross Entropy)。ディスクリミネーターもBinary Cross Entropy。最適化はAdam、学習率2e-4、バッチサイズ32、5エポックで学習。

一度にすべてのターゲット信号を同時出力し、“Leave-One-Out Cross Validation”方式(1人被験者をテスト、残り全員で学習)で検証。テスト被験者のデータや個別校正は未使用で、現場での一般化能力を推定します。

6. 信号評価と分析法

ピアソン相関係数(Pearson’s r)平均絶対誤差(Mean Absolute Error, MAE)で出力信号の形態・振幅類似度を評価。各被験者ごと全生成信号ウィンドウで相関・誤差を算出、中位値を集計し全体の性能を確認。

心臓イベント点(Fiducial Points)——ECGのP/Q/R/S/T波、ICGのB/C/X点、PPGのオンセット・ピーク、NIBPの収縮/拡張ピーク——はNeurokit2等アルゴリズムを用いて自動アノテーションし、モデル生成信号でのイベント検出精度(250msまで一致許容、越えれば除外)や誤差分布・絶対誤差を分析。

さらに、異なる信号ウィンドウ長(2.56秒=512点、5.12秒、10.24秒、20.48秒=4096点)でモデル性能を比較し、実用的な連続記録データ生成能力・ロバスト性を評価します。

主な研究結果

1. 多モダリティ信号再構成品質

すべてのターゲット信号でモデルの再構成能力は群を抜いています:

  • 相関係数(r)の中位値: ECG 0.808, NIBP 0.907, ICG 0.833, PPG 0.929
  • 平均絶対誤差(MAE)の中位値: ECG 0.309, NIBP 0.275, ICG 0.401, PPG 0.255

各介入シナリオ間で相関・誤差の大きな差はなく、モデルは様々な状態下の信号形態変動を安定して再現しています。安静時の関連性は最も高く(生理的安定)、息止めや冷水試験ではやや低下しますが、生理的干渉による波形の歪みに起因すると推測され、総じて高性能です。各実験条件でイベント点の可変性を正確に捉え、生成モデルが全過程の生理ダイナミクスに強く反応することが示されました。

信号例では、ECG・NIBP・PPG・ICGの生成波形が原信号の形態をほぼ再現し、参照信号にノイズが多い場合は生成信号の方が安定しており、後工程のノイズ除去にも有用です。

2. 重要イベント点検出能力

各信号のイベント検出結果は以下の通り:

  • ECGのRピークはMAE 6.66ミリ秒、200Hzサンプリングでほぼ1〜2サンプルの誤差のみ、極めて高精度。
  • その他ECG点(P/Q/S/T)は12〜28ミリ秒の範囲。
  • ICGのC点はMAE 15.11ミリ秒、B/X点はやや高誤差(変動性・アルゴリズム難易度が影響)。
  • PPG・NIBPのピーク遅延MAEは17〜39ミリ秒、遠位採取でパルス伝播ノイズの影響が主因。
  • イベント点誤差に強いバイアスはみられず、モデル出力に方向性誤りも無く、心機能や各種時間間隔指標(LVET・PEP・PTTなど)の臨床分析前提条件を満たしています。

3. 長ウィンドウ信号生成性能

最大20秒(4096点)の長区間信号でも、短区間より僅かに低い程度の相関・誤差に抑えられ(ECG0.789、NIBP0.891、ICG0.810、PPG0.898)、振幅誤差も安定。実際のウェアラブルリアルタイム健康モニタリングで十分な持続的信号生成能力を実現しています。

研究の結論と意義

本研究は単一VCGセンサーと深層生成対抗ネットワークを用い、複数の心血管重要信号を同時再構成する新たな方法を示し、VCG信号の高次元構造が多様な生理情報を内包し、多モダリティ心臓信号生成の基盤となりうることを証明しました。主な意義は:

  1. ハードウェアの単純化と実用性向上: 従来の多センサーシステムを単一点装着で代替でき、装置の小型化・装着負担・同期難易度を大幅軽減し、日常健康管理の携帯性を向上。
  2. 多信号の同期モニタリング実現: ユーザーはVCGセンサーだけでECG・ICG・NIBP・PPGの全心血管波形を同時取得、技術的に多信号生成と臨床フレンドリーな形式への変換も達成。
  3. イベント点認識精度が高い: 多モダリティ信号のイベント点検出誤差は非常に低く、心臓時間間隔・機能指標への臨床分析要件にも適合。
  4. モデルの汎化能力が高い: 未見被験者でも高い再構成精度を達成し、年齢・性別・体格など個体差の影響は弱く、幅広い人々への適用が可能。
  5. 長時間モニタリング能力に優れる: 長ウィンドウ信号生成も安定、日常装着向け連続データ需要に十分対応。
  6. 心血管健康管理のイノベーション基盤として貢献: 今後は生成モデル+臨床AI診断と組み合わせ、生成信号による疾患検出・機能評価の価値検証が期待される。

研究のハイライトと技術革新

  • 単一VCG信号で4種心血管波形の同時生成を初めて検証、従来の2モダリティ間変換技術の限界を突破。
  • 一次元・多出力Pix2Pixモデルの革新的活用、生成モデルが効率的かつ同時に多信号チャンネルを処理、再利用性・汎化性向上。
  • 詳細な物理実験設計と介入試験、多様な生理状態・体調変化にも対応でき、静的データのみの学習より優れる。
  • 全自動信号ラベリング・評価体系の搭載、自動イベント点検出アルゴリズムと併用し、臨床的応用水準の性能を実現。
  • 今後の非侵襲・連続・高次元医療モニタリング機器開発基盤として実用化貢献。

その他有用な情報

標準化により学習精度が向上したが、信号振幅再現性に限界があり、血中酸素飽和度などの精密測定には今後さらなるモデル・データ・アルゴリズム調整が必要。PPG・NIBPなど遠位採取信号はパルス伝播ノイズの影響で精度がやや下がるため、センサー配置やデータ融合を検討する指針となります。基礎アルゴリズム(例えばB点検出)は学術的な一致が難しいため、実応用では多手法を組み合わせる必要があります。

研究データは非公開ですが、コードはGithubで公開されています(https://github.com/jamesskoric/vcg-generative-reconstruction)、同分野の再現・発展研究の基盤となります。

まとめと展望

本研究は単一センサーのウェアラブル健康モニタリングおよび深層生成信号再構成分野で画期的な貢献を果たし、VCG信号の多モダリティ情報ポテンシャル、AIモデルによるその抽出の可能性を示しました。今後は本成果を活かし、より大規模サンプル、複雑な疾患、実臨床環境でモデルの汎化能力を検証、生成信号の疾病検出有用性評価や信号振幅・ノイズ耐性向上などが課題です。イノベーションはアルゴリズムのみならず、ハードウェア簡素化・ユーザー体験・診断パラダイム変革にも波及し、世界の心血管健康管理に新たな章を開きます。