クロマチンリモデラーBAZ2Bを標的とした肝臓老化およびMASH線維症の緩和

一、研究背景と意義

世界的な高齢化が進行する現代、代謝異常関連脂肪性肝炎(Metabolic dysfunction-associated steatohepatitis、略称MASH、またはNASH)およびその肝線維症などの慢性肝疾患の発症率は年々上昇傾向にあり、近年は基礎・臨床の肝疾患研究におけるホットスポットかつ難題となっている。MASHは代謝異常関連脂肪性肝疾患(MASLD、旧NAFLD)の進行型であり、肝脂質代謝の異常、炎症反応、肝細胞の老化および線維化を特徴とし、最終的には肝硬変や肝癌に至る。注目すべきは、肝臓の老化(aging of the liver)がMASHの発症・進展の重要なリスク因子であるのみならず、体内細胞老化(cellular senescence)やエピジェネティクス(epigenetics)の失調が肝老化およびMASH線維症においてますます重要な役割を担うようになっていることである。

既存研究によれば、肝細胞の老化は炎症因子の分泌やエネルギー代謝への影響など複数のメカニズムを通じて、肝線維化・機能障害および組織再生障害を促進することが証明されている。しかし、老化関連細胞の形成およびMASH線維症への具体的分子メカニズムは十分に明らかになっておらず、治療薬開発の障壁となっている。

一方、エピジェネティック制御、とりわけクロマチン構造の可塑性は、遺伝子発現や細胞運命、疾患発症進展において極めて重要な役割を果たしている。エピジェネティクスの視点から肝臓の老化とMASHとの内在的つながりを解明することは、本研究の注目する重要な科学的課題である。特に、創薬ターゲットとなりうる重要なクロマチン調節因子を発見し、肝老化および線維化の逆転、MASHの予防・治療に新たな発想と分子標的を提供することが期待される。

二、論文出典と著者情報

本研究のオリジナル論文は、Nature Aging(nature aging)2025年6月号(Volume 5, Pages 1063–1078)に掲載され、DOIは10.1038/s43587-025-00862-wである。論文タイトルは「Targeting the chromatin remodeler BAZ2B mitigates hepatic senescence and MASH fibrosis」(クロマチンリモデラーBAZ2Bの標的化が肝臓老化とMASH線維症を緩和する)である。

論文の著者チームは主に中国の上海復旦大学上海公共衛生臨床センター、上海中山病院、中国科学院脳科学・知能技術卓越センターなどの研究機関に属し、責任著者は仇伝涛(Chuantao Tu)および蔡世慶(Shi-Qing Cai)である。

三、研究の流れと技術ルートの詳細

1. 全体設計の考え方

著者は肝臓クロマチンリモデラーBAZ2B(Bromodomain adjacent to zinc finger domain protein 2B)の発現変化とその機能に着目し、肝臓老化やMASH病理プロセスでの役割とそのメカニズムを体系的に検討した。研究全体の流れは以下の通りである:

  1. 患者レベルおよびデータベース解析:患者肝組織サンプルと公開データベースを用いて、BAZ2BとMASH・線維化との関係と分布の特徴を解析。
  2. 動物モデルと遺伝子操作:肝老化、MASHマウスモデルの確立、遺伝子ノックアウト(baz2b−/−)、肝細胞特異的ノックダウンなどの方法でBAZ2Bの病理機能を評価。
  3. 分子メカニズムの解明:トランスクリプトーム、エピジェノーム(ChIP-seq、ATAC-seq)、クロマチン結合および機能実験を組み合わせ、BAZ2Bの下流代謝経路へのエピジェネティック制御メカニズムを明らかにする。
  4. 機能的介入による検証:肝細胞BAZ2Bへの特異的介入で、若齢・老齢MASH動物モデルに対する治療効果を検討。

2. 研究対象とサンプルの説明

  • ヒトサンプル:健康対照5例、MASLD 6例、MASH 7例の肝組織を含む。
  • 動物モデル:主にC57BL/6J系統のbaz2b−/−、baz2b+/−、WTオスのマウス;自然老化群は18–19ヶ月齢、若齢群は2–3ヶ月齢。MASHモデルはコリン欠乏高脂肪食(CDAHFD)または高カロリー高フルクトース食で誘導され、期間は2週、8週、16週。
  • シングルヌクレオトランスクリプトームデータ:公開データ(GSE189600)の再解析により、肝細胞クラスタの詳細なサブタイプ分類とBAZ2B単細胞発現を把握。

3. 主な実験と技術的手法

3.1. 臨床データと分子検出

  • RNA in situハイブリダイゼーション(RNAscope)、免疫組織化学(IHC/IF)等を使ってヒト肝BAZ2B発現および病変部位との相関を検出。
  • データベースGSE61260、GSE189600を利用し、バイオインフォマティクス解析、シングルヌクレオトランスクリプトーム細胞型分類、発現比較を実施。

3.2. 動物実験および表現型解析

  • BAZ2B遺伝子ノックアウトと肝細胞特異的shRNAノックダウンモデルを構築。
  • 肝臓老化表現型(Senescence-associated β-gal、p16、p21免疫染色)、脂質蓄積(Oil Red O染色)、線維化(Sirius Red染色、αSMA免疫標識)、炎症反応、肝機能(ALT/AST)を評価。
  • 代謝学:間接カロリーメトリー(VO2、VCO2、RER)、グルコース耐性テスト、マウス肝ミトコンドリア機能解析。
  • 分子生物学的検出:ウエスタンブロット(IB)、QPCR定量、タンパク質レベル解析。

3.3. 分子メカニズム研究

  • トランスクリプトーム解析(RNA-seq):BAZ2Bの制御下での肝臓全体の遺伝子発現変化とその富化経路を解析。
  • クロマチン免疫沈降シークエンス(ChIP-seq):BAZ2Bのゲノム結合部位を同定し、オミクス解析で標的遺伝子を特定。
  • ATAC-seq:クロマチンのアクセシビリティを検証し、H3K27ac、H3K4me3など活性化修飾マークの変化とともにエピジェネテック調節メカニズムを明らかに。
  • 機能解析:AAV8-TBGベクターを介した肝細胞特異的shRNAにより、BAZ2BおよびPPARαをそれぞれノックダウンし、その機能的主従関係を探る。

4. データ解析方法

  • 生物統計処理はGraphPad Prismを用い、Shapiro-Wilk正規性検定、Brown-Forsythe検定、多群分散分析(ANOVA)などを実施。
  • バイオインフォマティクスパイプラインはSeurat単細胞解析、DeSeq2、DiffBind、MACS2、HOMER、DAVIDなど多数のアルゴリズムおよびデータベースを含む。

四、主な実験結果とエビデンスチェーン

1. 肝臓老化とMASH線維化におけるBAZ2Bの発現と分布

  • 健康な肝組織ではBAZ2B mRNAはほぼ検出されなかったが、MASLDおよびMASH患者の肝臓では顕著に高発現し、とりわけ病変部の肝細胞に主に分布、非病変部ではほとんど検出されなかった。
  • 大規模データ(GSE61260)やシングルヌクレオRNAデータ(GSE189600)では、MASH患者の肝細胞特定サブクラスター(hmash-heps)でBAZ2B発現が顕著に上昇、これには老化・免疫関連遺伝子群の富化が伴う。
  • 病理切片のダブル染色実験(BAZ2B mRNAとHNF4α、老化マーカーの共染色)も、BAZ2B高発現領域が肝細胞の老化と高度に関連することを確認。

2. 動物モデルによるBAZ2Bの肝老化および病的進展促進作用の実証

  • 正常高齢マウス(18–19ヶ月齢)では、肝臓のBAZ2BタンパクとmRNAが若齢マウスより著しく上昇していた。
  • BAZ2Bノックアウト(baz2b−/−)は自然老化マウス全体の代謝表現型(O2消費、RER、グルコース耐性)を大きく改善し、ミトコンドリア機能向上、脂質沈着減少、肝細胞老化指標および炎症・線維化指標も改善した。
  • CDAHFD食によるMASHモデルでは、BAZ2B欠失マウスが肝細胞の老化、炎症、線維化の程度がいずれも低下し、ALT/ASTも下がり、保護効果を示した。さらに高カロリー食-HFHCDモデルでも同様の再現性が証明された。

3. メカニズム探索:PPARαシグナル経路を介した作用

  • RNA-seq解析で、老齢およびMASHマウスの肝臓ではPPARシグナル経路(特にPPARα)が著しくダウンレギュレーションされ、脂質代謝障害が伴っていることを示した。BAZ2BノックアウトによりPPARαおよび下流の脂質酸化・代謝関連遺伝子(ACSL1、ACOX1、CPT1αなど)がアップレギュレーションされた。
  • 肝細胞内PPARαを特異的にノックダウン(AAV8-TBG-shRNA-PPARα)すると、BAZ2B欠失による老化改善・抗線維化表現型が完全に消失し、その中心的な媒介作用が示唆された。

4. エピジェネティック側面:BAZ2Bのクロマチン構造開放と代謝遺伝子発現調節

  • ChIP-seqで、BAZ2Bタンパクが約1456の遺伝子プロモーター部位に結合し、代謝およびPPARα経路関連遺伝子に富むことが判明。
  • ATAC-seqならびにH3K27ac、H3K4me3 ChIP-seqで、BAZ2B欠失により標的遺伝子プロモーターのクロマチン・アクセシビリティと活性型ヒストン修飾が増加し、代謝経路遺伝子の活性化が引き起こされることを示した。
  • こうした機構が、BAZ2Bの上昇→エピジェネティック再構築→PPARα発現低下→肝老化/線維化という上流から下流までの密接な分子・病理のつながりを構成している。

5. 肝細胞BAZ2Bの標的介入で老化・MASHが顕著に緩和

  • 特異的AAV8-TBG-shBAZ2Bで高齢マウス肝細胞のBAZ2Bをノックダウンすると、肝細胞老化、脂質沈着、線維化が著しく抑制され、代謝・炎症表現型も改善された。
  • 若齢・高齢のMASHモデルマウスいずれでも、肝細胞BAZ2Bノックダウンが肝病変の重症度を著しく低下させ、病理スコアや炎症・線維化マーカーも軽減された。
  • これは、BAZ2Bが単なる病理マーカーではなく、「薬剤開発可能」な分子標的であることを示唆する。

五、結論・意義・研究のハイライト

本研究は基礎と応用両面から肝臓老化と代謝性肝疾患の発症メカニズムを革新的に解明した。主な結論として:

  1. 肝老化とMASH線維化の分子ブリッジを明確化:クロマチンリモデラーBAZ2Bがエピジェネティック制御によって、PPARαシグナルおよび脂質代謝下流遺伝子を負に制御し、肝細胞の老化とMASH線維化のコア分子軸となることを初めて系統的に示した。
  2. 肝老化・線維化のプロセス機序の空白を補完:BAZ2Bの動的調節とその病的促進効果を明らかにし、エピジェネティック-代謝-炎症-障害という一気通貫のメカニズムループを形成した。
  3. 老化関連慢性肝疾患に新たな治療コンセプトとターゲットを提供:遺伝学的・肝細胞特異的介入によって、BAZ2Bが標的抑制可能な「肝臓の若返り」および抗線維化の分子であることを証明し、エピジェネティック老化や肝線維化逆転型新規精密薬開発の理論・実験的基礎を提供した。
  4. 方法論の革新と技術融合:マルチオミックス(トランスクリプトーム、エピジェノーム、単一細胞)、新規AAV肝細胞shRNA送達、精密な表現型解析など最先端手法を融合させ、病理メカニズム解明と標的バリデーションの深度と広さを高めた。
  5. トランスレーショナルおよび臨床応用ポテンシャル:BAZ2Bを抑制することで肝細胞独自の抗線維化・代謝リプログラミング能を活性化させ、発癌などの重大副作用も認められなかった。エピジェネティック修飾の可逆性も踏まえ、BAZ2Bは健康な肝老化促進、MASHとその線維化治療の理想的な薬剤ターゲットである可能性が高い。

六、今後の展望と結び

本研究がもたらす理論的ブレイクスルーと技術的イノベーションは、肝臓老化および代謝異常関連慢性疾患の本質的理解、ならびにエピジェネティック再構築に基づいた抗老化・抗線維化戦略の確立に強固な基盤を築いた。今後、BAZ2Bを中心とした創薬スクリーニングや低分子阻害剤開発、関連メカニズムの多系統横断研究が更に進めば、基礎研究から臨床応用への橋渡しが強力に推進され、高齢社会の肝臓健康問題解決に「逆転と再生」という真の新しい希望をもたらすと期待される。