C9orf72六塩基反復伸長はALSにおけるミクログリア応答を障害する
C9orf72六塩基ヌクレオチドリピートの拡大がALS患者のミクログリア応答を損なう——《nature neuroscience》2025年11月号レポート詳細
1. 学術的背景と研究動機
筋萎縮性側索硬化症(ALS, Amyotrophic Lateral Sclerosis)は、運動ニューロンが進行性に喪失されることを特徴とする重篤な神経変性疾患であり、発症から平均3年以内に死亡する患者が多い。運動症状のみならず、一部の患者では認知や行動障害も認められる。遺伝学的研究よりALSは強い遺伝的感受性を示し、その中で最も一般的な原因はC9orf72(chromosome 9 open reading frame 72)遺伝子上のGGGGCC六塩基ヌクレオチドリピートの拡大(hexanucleotide repeat expansions, HRE)である。この繰り返しはALSおよび前頭側頭型認知症(FTD, frontotemporal dementia)患者でよくみられ、現在知られているリピートの長さは38から約1600まで存在する。ALSの発症メカニズムでは、神経細胞のみならず、ミクログリア(microglia)、アストロサイト(astrocytes)等のグリア細胞が神経炎症反応に深く関与していることが明らかとなっている。しかし、C9orf72 HREがグリア細胞、特にミクログリアの機能にどのような影響を与えるかは依然不明である。
ALSにおいて神経炎症および関連する細胞性メカニズムは重要な研究テーマとなっている。既存の研究では、C9orf72が主に髄系細胞、それもミクログリアに高発現していることが示されている。動物実験では、C9orf72の欠失が免疫反応異常、髄系細胞の増殖亢進、リソソーム機能障害を引き起こすことが示唆されている。これらの遺伝子異常によるヒトグリア細胞の具体的な変異ならびに応答メカニズム、とくに遺伝型ALSと孤発型ALS(sALS, sporadic ALS)の区別は、最先端研究の課題である。こうした科学的問題を踏まえ、本研究はC9orf72 HREが ALS患者のグリア細胞に及ぼす分子・細胞メカニズムを体系的に解明し、ミクログリアおよびアストロサイトの機能・転写状態・細胞間コミュニケーションに与える影響を評価、さらに今後の患者分類と個別化治療への理論的根拠の提供を目指している。
2. 論文情報と著者
本論文は「C9orf72 hexanucleotide repeat expansions impair microglial response in ALS」と題され、《nature neuroscience》2025年11月第28巻に掲載された。第一著者にはPegah Masrori、Baukje Bijnens、Laura Fumagalli(いずれも共同第一著者)、責任著者はPegah Masrori、Renzo Mancuso、Philip van Dammeである。主な著者はKU Leuven大学やUniversity of Antwerpなどヨーロッパの神経科学トップ研究機関に所属しており、多施設共同の強みが際立つ。
3. 研究フロー詳細解説
1. 研究設計とサンプル採取
本研究は多層的かつ体系的なデザインで、ヒト脳・脊髄の剖検組織、iPSC由来細胞モデル、小鼠異種移植モデルを組み合わせている。ALS患者(C9orf72 HRE型と孤発型各5例)および健常対照群より、運動皮質および脊髄組織を採取し、単核RNAシークエンシング(snRNA-seq)を実施。また、ヒトiPSC由来ミクログリア細胞(C9orf72リピート拡大型、C9orf72ノックアウト型および同系統対照)を分化・免疫不全マウス脳へ異種移植し、多様な機能・分子生物学的解析も行った。
a) 剖検組織単核RNA解析と細胞サブクラス分析
snRNA-seq技術により、運動皮質と脊髄サンプル中の主要細胞型とその割合を体系的に同定し、合計156,252核を対象とした。主な細胞型はアストロサイト、内皮細胞、神経細胞、ミクログリア、オリゴデンドロサイト、およびその前駆細胞、更に脊髄ではナチュラルキラー細胞も同定された。ミクログリア・アストロサイトのサブクラスタ解析では、外部の大規模データセット(Gerritsらによる計132,628ミクログリア核)も組み合わせ、クラスタリングと遺伝子マーカーにより、複数のミクログリアサブ型(homeostatic microglia (HM)、transitioning microglia ™、disease-associated microglia (DAM)等)やアストロサイト6大サブ型を同定した。
b) 遺伝子発現・パスウェイ富化解析
C9orf72遺伝子の各細胞型での発現レベル解析により、ミクログリアで最も高発現し、C9orf72 HREキャリアのミクログリアでは発現が著減していることを見出し、機能半減(haploinsufficiency)を証明した。こうした遺伝子発現変化をもとに、加重遺伝子共発現ネットワーク解析(WGCNA)と遺伝子セット富化解析(GSEA)等の手法で、リソソーム・食作用・炎症・エネルギー代謝などの機能パスウェイを評価した。
c) 異種移植細胞モデル
剖検組織の発見のバイアスを排除するため、iPSCからミクログリア前駆細胞(C9orf72 HRE型、C9orf72ノックアウト型、各種同源対照)を分化し、CRISPR-Cas9により遺伝子編集を実施。これらヒト由来ミクログリア前駆細胞を免疫不全マウス(rag2−/− il2g−/− hcsf1ki)脳へ移植し、3か月または6か月後にFACS選別および単細胞RNAシークエンシングで細胞状態や応答を解析した。
d) iPSCミクログリアのリソソーム・食作用機能解析
体外でヒトiPSCからミクログリア細胞を分化させ、免疫染色や高解像度拡張顕微鏡にてリソソーム酵素(cathepsin D, CTSD)の分布・形態変化を観察。電子顕微鏡や食作用/分解実験(Phrodo E. coli粒子実験)により、リソソーム構造や取り込み・分解能の変化を詳細に解析した。
e) ミクログリア-アストロサイト間コミュニケーション解析
CellChatにより、ミクログリア・アストロサイト間のリガンド-受容体ペアの対話ネットワークを構築し、ALSサブタイプ(C9-ALSとSALS)間でのコミュニケーションパターン変化を解析、神経炎症と細胞応答変化に関わる分子メカニズムを明らかにした。
2. 主な実験結果とその論理的関係
a) C9orf72 HREによるミクログリアでのC9orf72発現低下
この六塩基ヌクレオチドリピート拡大は、ミクログリアのみでc9orf72発現を低下(haploinsufficiency)させ、他の細胞型では認められず、既存研究と一致した。
b) ミクログリアの疾患応答障害と分子特性
孤発型ALS患者のミクログリアは反応性状態へと転換し、炎症・リソソーム・食作用関連遺伝子の発現が上昇。対してC9orf72 HRE患者ではHMマーカー発現が高く、顕著な活性化/反応性転換がみられない。GRN欠損例との強い相関もみられ、機能的な重複を示唆。WGCNA解析では、C9-ALSミクログリアの応答パスウェイ(リソソーム、アポトーシス、免疫反応等)が低活性で、散発型ALSでは逆に高活性であった。
c) リソソーム-食作用パスウェイ障害の検証
異種移植モデルでも、C9-HRE型およびC9orf72ノックアウトミクログリアは反応性状態(DAM/HLA)への転換が困難で、HLA関連遺伝子の発現が顕著に低下、家族性ALSは欠陥型応答であることを支持。体外実験では、C9orf72喪失によりCTSD陽性リソソームが拡大・密度増加し、食作用物質の分解効率低下と後期エンドソーム/リソソームへの蓄積、すなわちリソソーム機能障害を確認した。
d) アストロサイト転写状態の違い
アストロサイトは領域特異的な転写の多様性を示し、脊髄クラスターでより顕著な遺伝子発現変化が認められた。SALSアストロサイトは反応性遺伝子(SERPINA3等)が上昇し、C9-ALSはhomeostaticや発生関連遺伝子の発現が高い。ミクログリア障害が細胞間コミュニケーション低下を介してアストロサイト応答の転換障害に寄与する可能性が示された。
e) ミクログリア-アストロサイト間の通信障害と候補分子パスウェイ
CellChat解析により84組の重要なリガンド-受容体ペアを同定、ALSサブタイプ特異的な細胞間通信異常が示された。たとえばspp1-cd44軸は孤発型ALSで上昇し(既報によれば疾患進行と関連)、gas6-mertk/axlシグナルはC9-ALSで特異的異常を示し、ミクログリアの抑制に関与する可能性がある。こうした通信障害がC9-ALSのグリア細胞の協調的応答を妨げる新たな病態メカニズムである可能性が示された。
4. 研究結論と科学的価値
本研究は初めてC9orf72六塩基ヌクレオチド拡大がALS患者ミクログリアc9orf72機能半減を生じ、疾患関連反応性細胞状態(DAM/HLA)への移行を阻害し、リソソーム食作用機能を低下させ、細胞間通信障害も引き起こすことを系統的に解明した。アストロサイトも応答障害を示し、ALSが非細胞自律的な多細胞型疾患であることを強調した。これら分子・細胞メカニズムの差異により、家族性C9orf72 ALSと孤発型ALSは応答メカニズムおよび治療標的面で本質的な違いがある可能性が示唆された。
この成果はALS患者の分類、病態機序の解明、ならびに個別化治療(例えばリソソーム機能や細胞間通信標的介入)の理論的根拠を新たに提供するものである。特に家族性ALSが臨床的には孤発型と区別困難な現状で、微視的メカニズムの違いを明らかにした点に臨床的意義が大きい。
5. 研究の特徴とイノベーション
- 多様な研究対象と体系的手法:ヒト剖検組織、iPSC免疫分化モデル、小鼠異種移植系を組み合わせ、in vivo・in vitroおよび種間で見事に比較検証。
- 高精度単細胞解析と外部大規模データ統合:クラスタリング・分型解析でミクログリアとアストロサイトの細分類を高精度で同定、データ解析手法も革新的。
- リソソーム機能障害メカニズムの実証:拡張顕微鏡・電子顕微鏡での超微細構造の検証と機能食作用実験で、実体的メカニズムを証明。
- 細胞通信メカニズムネットワークの初描写:CellChatを用いてALSミクログリア-アストロサイト通信マップを構築し、今後の薬剤探索・機能研究の土台を形成。
6. 論文の応用価値と今後の示唆
本論文はALS発症におけるミクログリア及びアストロサイトの主導的役割を強調し、分類診断と分子階層的治療戦略(リソソーム調節・細胞通信制御など)への実践的標的を提示した。家族性ALS患者における免疫応答活性化及びグリア細胞機能回復は今後の個別化医療の新潮流となる可能性がある。
また本研究は、脊髄領域のグリア細胞サブ型特異的な遺伝子発現の差異等、領域特異性が病態易感性に寄与することにも言及し、ALSの部位選択的病態機序の理論拡充に資するものとなった。ALS/FTD、アルツハイマー病等他の神経変性疾患の共通性・特異性探究にも有用なモデルとなり得る。
7. その他重要情報
著者は論文中に大量の補足データを収載し、リソソーム機能・食作用シグナルパスウェイ等分子特性の追試性を支持。また最新アルゴリズム(WGCNA、MILO、CellChat)を活用し、マウスモデル、既存臨床コホート、in vitro細胞系とも多角的にクロスチェックを実施、厳密かつオープンな研究姿勢を示している。今後は更なる分型・ステージ別研究の必要性を強調し、多施設大規模研究・薬剤開発への指針を示唆した。
8. まとめ
本研究は《nature neuroscience》掲載の最高レベル科学論文であり、C9orf72家族性ALSと孤発型ALSのミクログリア・アストロサイト分子/細胞/通信レベルでの大きな違いを初めて詳細に解明した。ALS病態機序の新モデルを打ち立てると同時に、疾患分類・分子標的治療、さらには神経変性疾患における広義の免疫病態研究に強力な新基軸を示した、極めて高い科学的および応用価値を持つ研究である。