P-セレクチンの異常な関与がマウスの造血幹細胞老化を促進する
1. 研究背景と科学的課題
血液システムの健康は生体の機能に極めて重要であり、造血幹細胞(HSC、Hematopoietic Stem Cells)は血液システムの正常な運営を維持する中核細胞である。HSCは自己複製能と多分化能を持ち、赤血球・白血球・血小板などあらゆる血液細胞を産生できる。加齢とともに、造血幹細胞の機能は徐々に衰退し、造血再生能力の低下、赤血球産生の障害、そして骨髄系(顆粒球・単球・血小板)への分化偏向が現れる。この幹細胞老化は失血・感染などへの応答力の低下のみならず、多様な血液変性疾患や悪性腫瘍の発症ももたらす。
従来の研究では、HSCの老化はDNA損傷、代謝異常、エピジェネティックな調節異常などの細胞内分子変化と関連していることが示されている。さらに、骨髄微小環境のリモデリングや炎症反応などの細胞外環境因子もHSC老化に大きな影響を及ぼす。しかし、具体的な機能分子経路や可逆的老化機構、とくに微小環境シグナルと幹細胞老化の分子的相互作用の基盤は十分に解明されていない。これらの機構の理解は健康寿命の延伸のみならず、高齢関連血液疾患の治療にも理論基盤および介入標的をもたらすはずである。
この分野で最近注目されているのが、P-セレクチン(p-selectin、コード遺伝子selp)である。P-セレクチンは膜結合型の細胞接着分子であり、これまで血管内皮細胞や血小板での重要な役割が知られてきたが、炎症反応や細胞移動における重要な調節因子である。近年のトランスクリプトームmeta解析により、加齢マウスやヒトのHSCでp-selectin発現が顕著に上昇することが明らかになったが、その具体的な機能は不明であった。本研究はこうした背景のもと、P-セレクチンがHSC老化に果たす病理的役割と可逆性の解明を目的としている。
2. 論文情報と著者
本研究は「aberrant engagement of p-selectin drives hematopoietic stem cell aging in mice」と題し、2025年6月、トップジャーナルNature Aging(nature aging | volume 5 | june 2025 | 1010–1024)に発表された。責任著者はBritta WillおよびGerald de Haan。著者グループは欧州老化生物学研究所(eriba, university medical center groningen, university of groningen, the netherlands)、米国アルバート・アインシュタイン医学校(Albert Einstein College of Medicine, NY, USA)、セント・ジュード小児研究病院など、国際的一流研究機関から構成される。造血幹細胞および微小環境老化機構の研究領域で高い実績を持ち、学際的で多様な視点と強固な基盤で本研究を推進した。
3. 研究のワークフローと実験手法
1. 初期表現型および分子特性の観察
研究はまず、マウスの加齢過程における造血表現型を系統的に解析した。2-5ヶ月齢(若齢群)と22ヶ月齢以上(老齢群)のマウスを用い、末梢血赤血球(RBC)、血小板(PLT)、白血球のカウントを実施。老齢マウスでは赤血球・ヘモグロビン・ヘマトクリット値が有意に低下し、血小板数が増加した。また、骨髄系細胞の割合が増え、Bリンパ球の割合が減少し、典型的な骨髄系への分化偏向が観察された。
造血幹細胞と前駆細胞レベルでは、老齢マウスの骨髄において長期再構成型HSC(LT-HSC)とその下流前駆細胞(MPPs、GMPs)の割合が増加し、赤血球系前駆細胞や赤血球系コロニー形成単位(CFU-Es)の割合は減少。機能的in vitroクローン形成実験でも老齢HSCの再生能力低下が裏付けられた。これら一連の変化は個体間のバラツキ増大も伴い、老化の異質性を反映している。
2. P-セレクチン発現解析と細胞サブセット同定
FACS(フローサイトメトリー)により、p-selectinの発現レベルを多様なHSCおよび造血前駆細胞サブセットで検出・定量した。その結果、p-selectinはLT-HSCで顕著に検出され、老化により全HSCの発現が一律に増加するのではなく、一部細胞が高発現(selphi)、他が低発現(selplo)を保持するというサブクラスタリングが明らかになった。
さらに免疫蛍光染色と全骨髄切片イメージングにより、selphi HSCは主に骨髄洞域(sinusoidal niche)に局在し、若齢HSCが一般的に存在する巨核球(megakaryocyte, MK)ニッチとは異なることを示した。この空間分布の違いはHSC老化時の微小環境リモデリングとも密接に関係する。
3. P-セレクチン高発現HSCの機能特性
老齢マウスから分取したselphiとselplo HSCについて機能比較を実施。まず、in vitro骨髄系コロニー形成実験で、selphi HSCはselploよりコロニー形成効率が低いことを認めた。競合的な連続移植実験でも、selphi HSCは体内再構成能が著しく減弱した(骨髄定着能は変わらず)。また、移植後はselphi HSCのp-selectin発現が低レベルまで回復し、この現象が可逆的であることを示唆した。
4. SELP遺伝子過剰発現マウスモデルの解析
p-selectin発現がHSC機能に直接的影響を与えるかを裏付けるため、若齢マウスHSCにウイルスベクターでselp遺伝子過剰発現(selpoe)を導入し、体内競合移植を行った。超生理的なp-selectin発現でも、分化パターン(白血球・血小板)は有意に変化しないが、長期再構成能は持続的に損なわれ、赤血球産生も著しく低下。さらにFACS解析で多核および後期赤血球性前駆細胞への分化も著しく障害されていた。これらのデータは、p-selectinの過剰発現が再生能だけでなく赤血球生成も選択的に抑制することを示し、臨床的な老年性貧血の機序と関連する可能性を示唆する。
5. Selphi HSCの分子転写特性
RNAシーケンシングを用い、老齢マウスから分離したselploとselphi HSCのトランスクリプトーム特性を比較。計162個の有意な差次的発現遺伝子が同定され、増殖制御因子cebpbやfoxm1がselphi HSCで抑制され、下流経路も低活性、細胞周期やDNA複製関連遺伝子の発現が低下し、selphi HSCがより静止状態に傾いていることを示した。赤血球分化の主要転写因子gata1および標的遺伝子も顕著に低下し、一方で骨髄系分化や自然免疫関連経路の活性化が見られた。老化HSC特異的な分子シグナルがselphiサブセットに富み、“より古い”サブ集団であることが分子レベルで示された。
6. 炎症因子とP-セレクチン発現の関係解析
公共データベースと独自実験を通じて、炎症経路、特にIL-1βシグナル活性がselphi HSCアイデンティティと密接に関連していることが示された。動物体内でIL-1βやTNFを注射するとHSC表面p-selectinが急速に上昇し、かつ老齢骨髄髄質液ではIL-1β濃度の上昇が認められた。IL-1βの持続的刺激はp-selectin発現誘導能を持つが、IL-1R1経路遮断のみでは老齢HSCの分子特性を完全復旧できず、他の炎症経路も調節に関与することが分かった。さらに、老齢HSCを若齢マウスに移植すると、炎症関連遺伝子の発現が低下しp-selectinレベルも正常化、微小環境がHSC老化に対して重要な可逆調節作用を持つことが示唆された。
7. P-セレクチン配体PSGL-1のシグナル連携機構の解析
PSGL-1はp-selectinの主要生理リガンドで、複数の免疫細胞に発現する。研究では、老齢骨髄においてDC・単球・好中球・CD4+T細胞のPSGL-1発現が低下していることが分かった。in vitroでPSGL-1タンパク質をHSC培養に添加すると、p-selectin正常発現(wt)下では炎症・老化関連遺伝子が顕著にダウンレギュレートされ、そのシグナル伝達にERK1/2とSTAT3経路が関与している。単細胞分裂実験ではPSGL-1刺激により高p-selectin発現HSCの分裂能が亢進、この調節機能がp-selectinレベル依存であることが示された。
8. selp欠損造血幹細胞の表現型と機能解析
selpノックアウト(selpko)マウスモデルを用いて、HSC機能と老化表現型を比較。トランスクリプトーム解析では、selpko HSCで老化関連上昇遺伝子群が多数活性化し、炎症関連因子(IL-6、IL-1β)の発現も増加。機能的には、selpkoマウスの末梢血細胞総数に大きな変化はないものの、骨髄系偏向とCD150高発現LT-HSCサブセットが増加。競合的体内移植実験でselpko HSCは血液系の再構成にほぼ寄与できず、p-selectin制御不在でHSCが早期老化し機能を失うことが示唆された。
4. 主要な研究結果と結論
本研究は、細胞・分子・生理機能の多層的観点から以下を明らかにした: - 老齢HSCにおけるp-selectin発現は明確なサブクラスタリングを示し、“老化”表現型と強く関連 - 炎症微小環境(特にIL-1β)がHSC表面p-selectinの急性感作を誘導、一方で複数の炎症経路(IL-1β、TNF-αなど)が冗長に制御 - selp(p-selectin)過剰発現だけでもHSC機能の低下と赤血球系分化障害を引き起こし、部分的に老年性貧血と同様の表現型を再現 - 老齢HSCの若齢骨髄移植により分子表現型が「若返り」し、p-selectin発現も正常化;微小環境の決定的作用を裏付ける - 微小環境のp-selectinリガンドPSGL-1が減少し、その補充で炎症・老化遺伝子を抑制しHSC分裂能を亢進できる - selp欠損HSCは早期老化表現型・炎症関連遺伝子発現上昇・骨髄系偏向・機能損失を示す
結論として、p-selectinの異常高発現はHSC老化のマーカーであるのみならず、機能的な致老分子であり、微小環境炎症シグナル異常がp-selectin/PSGL-1軸を介してHSCの機能衰退を促進することが示された。よって、p-selectinおよびそのシグナルネットワークは新しい老化介入標的となりうる。
5. 研究意義と学術的価値
本研究は、p-selectinが造血幹細胞老化制御の決定的カスケードであること、およびその発現・活性化が可逆的であることを初めて体系的に示した。HSC老化機構の解明、および炎症‐微小環境の観点から高齢性血液疾患の介入につながる重要な理論基盤を提供する。p-selectinの機能解析は、既存の「単なる接着分子」という認識を超え、老化機能調節の分子ハブとして新たな地平を拓いた。また、PSGL-1はp-selectinの律速的調節因子として、微小環境での補充が将来的にHSC健康維持・機能回復の新戦略となり得る。
さらに、HSC移植とp-selectinシグナル制御の多次元的アプローチは、“若い状態”の幹細胞サブセットの同定・分取手法の指標にもなり、造血幹細胞移植と再生医療プロセスの最適化に寄与する。
6. 研究の注目点とイノベーション
- HSC老化過程でのp-selectin発現の異質性および機能層別を初めて明確化
- 炎症微小環境−細胞接着分子の相互作用が幹細胞命運調節に及ぼす新規メカニズムを提示
- 移植・リジュベネーション実験により、微小環境が幹細胞機能老化の可逆性に直接的影響を及ぼすことを証明
- 分子機構→生理機能→介入提案までを一貫した因果連鎖で立証
- PSGL-1低下が老化の鍵因子であることを新たに実証し、接着分子調節領域を拡張
- 高次元オミクス(トランスクリプトーム・単細胞RNA-Seq)、機能再構成試験、細胞生物学的解析など多様な手法を有機的に結合させ、複雑表現型解明の新たなモデルケースを提示
7. 展望と今後の課題
本研究はまた、p-selectin発現と機能が可逆的であり、高発現細胞も完全に再生能を失うわけではないことから、「若返り」あるいは老化HSCサブセット選択的除去戦略の方向性も示唆している。PSGL-1が高齢骨髄で抑制される機構や、その補充の臨床的可能性について今後検証が求められる。さらに、p-selectin/PSGL-1軸がHSCのホーミングや定着など広範な機能に関与しているかも同様に重要な検討課題である。
8. 結語
本Nature Aging掲載の本格的なオリジナル研究は、造血幹細胞老化の解明に新たな枠組みを与え、p-selectinのキー分子としての調節的役割と微小環境依存性を鮮明に提起し、高齢性血液疾患の介入とHSC機能維持へ新たな分子標的を拓いた。その研究パラダイム、技術体系、科学的インサイトは、いずれも顕著な学術的・応用的価値を持つ。